まなぶ

vol. 10

こんだあきこさん スペシャルコラム 第2回「子供は社会の宝」

コラムを書いた人:

文筆家・譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、縄文時代の研究を重ねる。現在、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。

「子供は社会の宝」

前回、生まれた子の半数が15歳までに亡くなるという話を書きました。

今でも、「7歳までは神さまからの預かり子」という言葉があるように、いつの時代も子どもの命は予断を許しません。風邪をひいた、熱が出た、あれ?ちょっと嘔吐が続くな。どの子にも起こりうる体の不調や不慮の事故によって、神さまに命を返さないといけないことが起こる。

子どもたちに関わるすべての大人たちが、どんなに細心の注意を払っていても容赦なく子どもの命は奪われてしまう。

縄文時代も現代も、小さな命を取り巻く大人の気持ちは何一つ変わらないといえそうです。

では、子育てはどうだったのでしょうか。
1万年以上続く縄文時代ですから、地域や時期によって様々ありますが、ここでは一般的な集落の話をしたいと思います。

今まで発掘されてきた状況から、4軒から6軒ほどの竪穴住居が集まって、ひとつの共同体をなしていたと考えられています。

一軒の大きさは10畳から12畳ほどのワンルームマンションをイメージするとわかりやすいでしょうか。増減はありますが、集落全体で、だいたい15人から20人前後が暮らしていたと想定されています。

構成としては、多くが血族で、そこに外の集落から人がやってきて婚姻関係を結ぶ、という感じ。ただ、婚姻についても、現在のような形とは限りません。

女性は新しい命を育む大切な存在ですから、集落の外に嫁ぐ、ということは相当な理由がないかぎりなかったのではないでしょうか。そのかわり、外から婿入りしてくる、もしくは、源氏物語に書かれたような通い婚という形だったかも知れません。

いずれにしても、血族の血が濃くなりすぎないよう注意していたはずです。

そして子どもが誕生すれば、集落全体で子育てをしていたことは容易に想像がつきます。
集落にとって一番大切なことは、一人でも仲間が増えて、暮らしが長く続くこと。
狩りに行くときも、森に木ノ実を拾いに行くときも、竪穴住居を作るときも、一人でも多くの人手があるほうがいいわけです。ですから、子どもは集落を繋ぐ大切な人材、そして頼もしい働き手にもなりました。

日々の暮らしはというと、働き盛りのお父さんお母さんが、それぞれ森や川で食料を探している間、集落には現役を引退した人たちが子どもの面倒を見ながら、集落の掟や道具作りを教えていた。

そう思うと、つい数十年の日本の姿と変わらないことに気がつきます。今でも地方によってはそんな暮らしがあります。

一万年前の縄文時代と言うと、なんだか遠い遠い異国の話のような感覚になりますが、現代の日本にも同じ暮らしが残されているのです。

文筆家・譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、縄文時代の研究を重ねる。現在、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。

文筆家。岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、そして縄文時代の研究を重ねている。現在は、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。現在は東京新聞および中日新聞水曜日夕刊にて「古代のぞき見」連載中。著書に『はじめての土偶』(2014年)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、ともに世界文化社)『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と溪谷社)『土偶のリアル』(2017年、山川出版社)『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)『土偶界へようこそ』(2017年、山川出版社)『縄文のヒミツ』(2018年、小学館)『折る土偶ちゃん』(2018年、朝日出版社)、近著に『知られざる弥生ライフ』(2019年、誠文堂新光社)がある。

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