まなぶ

vol. 12

こんだあきこさん スペシャルコラム 第3回「出汁の始まりは縄文時代にあった」

コラムを書いた人:

文筆家・譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、縄文時代の研究を重ねる。現在、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。

「出汁の始まりは縄文時代にあった」

今朝、皆さんは朝ごはんに何を食べましたか?

わたしはパンとコーヒーの朝食でした。なんだか味気ない朝ごはんなのですが、20代からずっとこの朝食なので、栄養が足りていないと思いながら、なかなか変えることができません。
さて、わたしの話はさておき、読者の皆さんの中には「うちは絶対、ご飯とお味噌汁、魚の干物の朝食です」という方もいらっしゃるかと思います。憧れます、そんな朝食に(笑)。

実はこの朝食の中に縄文時代から食べられているものがあるんです。
なんだと思いますか?

ピンっ!ときた方もいるのではないでしょうか。
そうです、魚の干物です。

言われてみればその通りなのですが、縄文時代、魚介類は貴重なタンパク源でした。

魚を開いて天日に干して干物にしたり、竪穴住居の炉の上に魚を吊るして燻製にするなど、保存食を作ってたようです。中には、「貝の加工場」と想定される遺跡も見つかっていて、そこでは主に牡蠣を茹でて身を剥がし、干して、干し貝を作っていました。

干し貝は、山に暮らす縄文人たちと交易をするための貴重な交換財だったとか。現在、スーパーで見かける乾燥した帆立の貝柱も、スープにするととても良い出汁が出ますから、きっと縄文人も、旨味たっぷりの牡蠣スープを飲んでいたに違いありません。

もちろん、牡蠣だけではありません。ヤマトシジミやハマグリ、アサリ、サザエにアワビと、彼らはなんでも食べました。

以前、千葉市にあります加曽利貝塚で、土器を使ってイボキサゴの貝汁を作りました。

加曽利貝塚の貝層の7割はこのイボキサゴが積み重なってできたもの。高さ2mにもなります。よくもまあ食べたなと思いましたが、イボキサゴ汁を飲んで納得。味が濃くてとっても美味しいのです。偶然居合わせた幼稚園児も「美味しい!」と言ってゴクゴク飲み干すほど。

イボキサゴに限らず、魚介類を土器に入れて煮れば潮汁になるわけですから、現在でも私たちの食卓に上がっているメニューを縄文人たちも食べていたわけです。

雑食の彼らに比べると、私たちが食べている食品の種類は6割ほどと言われています。それでも魚の干物のように、1万年前から変わらず食べ継がれてきたものがあるわけです。

風土にあった食材は、自然と私たちの体に馴染みます。ちょっと飛躍しますが、大きく見れば、私たちと縄文人は「同じ釜の飯を食っている」と言えるのかもしれません(笑)

そう思うと、途端に彼らと私たちの距離がグッと近くなる気がしますね。

文筆家・譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、縄文時代の研究を重ねる。現在、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。

文筆家。岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、そして縄文時代の研究を重ねている。現在は、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。現在は東京新聞および中日新聞水曜日夕刊にて「古代のぞき見」連載中。著書に『はじめての土偶』(2014年)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、ともに世界文化社)『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と溪谷社)『土偶のリアル』(2017年、山川出版社)『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)『土偶界へようこそ』(2017年、山川出版社)『縄文のヒミツ』(2018年、小学館)『折る土偶ちゃん』(2018年、朝日出版社)、近著に『知られざる弥生ライフ』(2019年、誠文堂新光社)がある。