まなぶ

vol. 13

こんだあきこさん スペシャルコラム 第4回「土偶は祈りの形」

コラムを書いた人:

文筆家・譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、縄文時代の研究を重ねる。現在、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。

「土偶は祈りの形」

そもそもわたしが縄文時代に関心を持ったきっけかは、土偶にあります。
土偶と言われて、皆さんはなにを頭に思い浮かべたでしょう?
多くの人が、眼鏡をかけてずんぐりむっくりとした「遮光器土偶」と言われる土偶を思い浮かべたのではないでしょうか。

ドラえもんの映画「新・のび太の日本誕生」に、遮光器土偶が何故か悪者として登場していて、子供たちにはその印象が残っているようです。ある意味で、日本代表の土偶といえるでしょう。

さて、その土偶。
日本全国では、破片を入れておよそ2万点ほど見つかっています。今でもその数は増え続けていて、研究者の中には、30万点以上が、未だ地中に眠っているのではないかという人もいます。
では、縄文時代に作られた人形(ひとがた)の焼き物である土偶は、何のために作られたのでしょうか。

じつは、作られた目的や使用方法、だれが作ったのかなど、明確なことは何ひとつわかっていません。縄文人たちが文字で書き残していない以上、確かなことは誰にもわからないのです。
と、いうことは、あれこれと想像する余白が残っているところが、縄文時代の魅力と言っていいのかもしれません。

話がそれました。
前述したように、土偶は一体何者なのかわからないわけですが、彼らの暮らしを考えることで、少し謎が解けるかもしれません。

以前お話したように、彼らの生業は狩猟採集漁労。つまり、自然界からの恵みによって命を繋いでいます。そのため土偶は、食料確保の成功を祈願する道具だったのではないかと言われることがあります。また、縄文人の最大のミッションといえる「命をつなぐこと」に対する祈りの道具。つまり、子宝や安産、また亡くなった命の再生を祈願する道具だったとも考えられています。その他、病気治癒や、場合によっては子供のおもちゃやお守りなど、様々な目的が想像できそうです。

いずれにしても、今のように科学も医療も発達してない時代です。不意に訪れる天災や奪われる命など、人智が及ばない事態に遭遇する縄文人たちは、祈ることで、また、見えない存在(超自然的存在)を思うことで、困難を乗り越えてきたのではないか。人形(ひとがた)と言われながら、ちっとも人間に見えない多くの土偶を眺めていると、そこに、生きていくことに対する真摯な姿勢と誰かを思う温かさを感じずにはいられません。
そう思いながら博物館で土偶を見てみてください。きっと、今までとは違ったものを感じると思いますよ。

文筆家・譽田亜紀子(こんだあきこ)

文筆家。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、縄文時代の研究を重ねる。現在、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。

文筆家。岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、そして縄文時代の研究を重ねている。現在は、テレビ、ラジオ、トークイベントなどを通して、土偶や縄文時代の魅力を発信する活動も行っている。現在は東京新聞および中日新聞水曜日夕刊にて「古代のぞき見」連載中。著書に『はじめての土偶』(2014年)、『にっぽん全国土偶手帖』(2015年、ともに世界文化社)『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と溪谷社)『土偶のリアル』(2017年、山川出版社)『知られざる縄文ライフ』(2017年、誠文堂新光社)『土偶界へようこそ』(2017年、山川出版社)『縄文のヒミツ』(2018年、小学館)『折る土偶ちゃん』(2018年、朝日出版社)、近著に『知られざる弥生ライフ』(2019年、誠文堂新光社)がある。