知る

vol. 11

こばじゅう創業者 コラム第2回 「日本民族のルーツ(2) 縄文時代約1万5000年の精神文化」

コラムを書いた人:

株式会社小林住宅工業 創業者 小林康雄

横浜で建築一筋60年!笑顔の建築人!
株式会社小林住宅工業 創業者。

日本民族のルーツ(2)
縄文時代約1万5000年の精神文化

前回のコラムでは日本人の祖先は縄文早期から「間氷河期」「縄文海進」を経て約15000年という永い年代を厳しい気候を克服しながらたくましく次の時代に文化をつなげて来た。というお話しをさせていただきましたが、今回は考古学というよりは地質学といった少し違った角度から縄文の1万5000年を立証するお話しへとつなげさせていただきます。

地質学の部分、内容の概要は「地質学が明かす黒土(クロツチ)と縄文文化」山野井徹著、「日本の土」より抜粋。

「太陽の家」の付近の山々

ここ数年間は高山奥飛騨、自然体験施設「太陽の家」に大体月に一度は通っています。往復はほとんどの場合車なのですが、片道約290キロ、かなりの距離になります。
なぜ、そのような頻度で行くのかといえば・・・、開催される各種イベントへの参加、建物の管理、周囲の草刈り、季節ごとの植栽その手入れ、など、たくさんのお仕事がまっているからなのです。

敷地は約1000坪、施設は延べ120坪くらいはある純木造の建物なのですが、大断面構造と軸組み工法を二重に取り込んだ絶対強度の建築物で、使用している構造材は裏手の山林から伐採、搬出したもので出来ています。何度行っても飽きることのない、気持ちの落ち着く空間です。

♪写真:秋の太陽の家

♪写真:太陽の家内観

更には室内から眺める乗鞍連峰の景色がこれまた抜群に素晴らしく、冬の白、春の芽吹き、夏の深緑、秋の紅葉、四季折々姿を変えて迫ってくる景色は圧巻で、現地滞在中は自然を身近に感じ、思いっきりくつろいで過ごしています。

しかし一方、植えたものが獣によって食い荒らされるなど気落ちのする事件や、周囲の草刈りは最大の課題になっています。

♪写真:草刈りをする三戸大工さん①

秋の里山の景色

何せ刈っても刈っても広い敷地内のことですから二週間もすればあっちもこっちも種類の違う草が猛烈な成長力で生えてきて元の木阿弥と化してしまいます。
結局一シーズンで四五回は同じ所の草刈りが必要で、特に法面の雑草刈りは最も大変な重労働になります。
自然界のものすごいエネルギーとの戦いとなりますが、皆さんもご存知の三戸大工さんが時折訪れて草刈りの大戦力となり活躍してくれているので大助かりしており、感謝の気持ちでいっぱいです。

♪写真:草刈りをする三戸大工さん② 感謝!!

話がだいぶ横道にそれてしまいましたが、縄文時代の人たちにとって、自然界のエネルギーによる植物の繁栄は多くの実をつけた食料として大いに活用し重宝したでしょう。大地のすさまじいほどのエネルギーには大いに助けられた半面、狩猟採集時代から植物栽培という時代に移行する縄文中期には、求める収穫物よりも雑草の成長力に翻弄される事のほうが圧倒的な課題だったのではないかと考えます。

そこで縄文人も考えたのでしょう。考えたというより山火事などの自然災害を見て気づいたのかもしれませんが、焼き払ってしまえば、面倒な伐採や除草する労力が軽減される、更に翌春には焼け跡の原っぱからは大量の山菜が食料として収穫できる。これは素晴らしいことです。

この素晴らしい日本の大地は多くの恵みを縄文人にもたらしてくれました。縄文人は毎年火入れを繰り返し、もっぱら草原を再生して生活の場を確保し、かつそこから食料などを採集する道を選び続けたのでしょう。
そうすることが後氷期の温暖、湿潤な日本の気候のもとで、「焼き畑農業」といわれる最も安定した次の年の収穫を保証する農法を手に入れたのではないかとおもうのです。そうして、同じ地域で長く生活を続けるすべを身に着けていったのでしょう。

日本列島特有の自然環境下で出現し、永続した「焼き畑農法」といわれる縄文文化は「世界の縄文文化」といっても過言ではないユニークさを持つものです。
以上のような縄文文化の特性は、一万年以上もの長い年月をかけて風性堆積物に炭の微粒炭が交じり、それが黒く着色する腐植を集め、相応に厚いクロボク土ができていることから導きだされました。

♪写真:太陽の家で取り組んでいるネギ畑

♪写真:豊かな大地から恵みの収穫

日本の土は国土の7割を占める山林や草原地帯という環境下での一般的な土質は「褐色森林土」で、この「褐色森林土」にクロボク土という特殊性を与えたのが自然ではなく縄文人であるという結論に至りました。
クロボク土は「火山灰土」など天然のものではなく、縄文人の文化遺産、すなわち世界を代表する「人為土壌」としての世界的な地位を得るに違いないと思っています。
縄文人の「焼き畑農法」が土壌改良につながり、文字通り豊かな国土建設につながり一万年以降に暮らす現代人の私達を大いに潤してくれていることに驚くとともに、心から感謝の念が沸いてくるのです。

株式会社小林住宅工業 創業者 小林康雄

横浜で建築一筋60年!笑顔の建築人!
株式会社小林住宅工業 創業者。

1940年東京生まれ。品川区立宮前小学校入学。その後、戦後疎開で親元を離れ、小学2年生から中学校卒業まで長野県坂城町で育つ。
1955年東京の銘木店に入店。1958年建築大工の見習いとなる。1960年横浜へ大工職人として赴任。働きながら建築士の資格を取得。1971年、有限会社小林住宅工業を設立(1984年の現在の株式会社へ組織変更)。その後は「長寿健康住宅」「シックハウスにしない家づくり」の実現を目指して活動に取り組む。一般社団法人「自然流の会」を立ち上げ、理事長に就任。現在は、自然素材100%の家づくりに取り組むかたわら、「自然流健康の家」から予防医学という考え方を広める活動に尽力している。

株式会社小林住宅工業 → http://www.kobajyu.co.jp/

著書「子どもに安心して住める家を残したい」(文芸社)好評発売中!