知る
vol. 3
コラムを書いた人:
株式会社小林住宅工業 創業者 小林康雄
横浜で建築一筋60年!笑顔の建築人!
株式会社小林住宅工業 創業者。
著書「子どもに安心して住める家を残したい」
小林住宅工業の「木バコの会」スタートにあたりメッセージをと言うことで、各地の縄文遺跡を訪問して感じたことを少しまとめてお話しさせて頂きますね。よろしくお付き合いください。
日本人の祖先は現代の歴史観から観ると縄文草創期から約15,000年というとてつもなく永い間、豊かな自然の恵みのを時には厳しい環境を動植物と共有しながら弥生時代に続く文化を築いて来ました。
縄文期は私たちが教科書で学んだ定説に当てはまらない、世界人類史上極めて特殊な時代であった。ということが近年日本各地の様々な遺跡発掘現場から続々と報告されてきています。
私はかねがね、『日本人は、心の中に日本人以外の人間にはない決定的な何かを抱えてきているのではないか』と感じていたのでありますが、青森県の三内丸山遺跡をはじめ各地の遺跡を訪ね歩き、石器や土偶を数多く見ることにより日本人を日本人たらしめている精神文化の原点がこの縄文時代にあったのではないかということが、深く合点されるようになりました。
数百年をかけ幾世代をまたいで巨大なストーン・サークルを創ったり、土器を作り、土偶を作り、作った土偶を毀したことに示される縄文人の自然崇拝の精神に共感し、それ等の事実を尊重しよう、という謙虚な姿勢が大切だということに気付かされたのです。
縄文時代という特別な経験を積んだ民族だからこそ、その後に続く弥生時代、古墳時代以降、天孫降臨により、「1滴の血も」?流されずに国譲りが行われ、万世一系の天皇のおわす奇跡の国が生まれたのではないでしょうか・・・。
縄文時代は、一般に思われているような、日々の食を得るために狩猟に明け暮れた、野蛮で粗野な時代ではない。何世代にもわたるような遺跡は大勢の人々が力を合わせなければ完成しない。翡翠のような固い原石を磨いた勾玉をはじめ非実用的な装飾を持つ土器や、神秘的な意味合いが籠められた土偶が生み出されたのは、人々が、ただ食べることに追われ、精神的なゆとりを失っていたわけではなかったことを、雄弁に物語っています。
そして、そこでは必ず言葉が使われていたはずで、人類史上、実に我々の祖先だけが、1万5000年以上にもわたり、ムラを創り、ムラの周囲に拡がるハラを耕し、山につながるノラ、宇宙に連なるソラ、というような言葉を持つ生活を営んでいたのでしょう。
そのように考えると日本人に生まれるということは、祖先よりの数万年にわたる永い記憶・DNAを綿々と受け継ぐ、大変に素晴らしいとここと、と思えるのです。
第二次世界大戦後日本は驚異的な発展を遂げ、一国としての地位を揺るぎないものとし、21世紀、令和の今日、世界中の国々が日本的な価値に注目し、尊敬と羨望の眼差しを向けるようになりましたが、彼らの期待に応えるべく、国際社会における自らの役割と責任を自覚し、戦後GHQの洗脳教育による自虐史観、安物史観を乗り越え、大国に相応しい人間性と振る舞いを身に付けることがこれからの日本人としての責務ではないでしょうか。
こばじゅうも自然素材で住まいを創るという物質的な面や「自然流・じねんりゅう」という言葉や表面的な考え方にとどまることなく、地球創生から始まる循環の原則、「自」おのずから「然」しかるべくの奥深くに存在する精神的な面や宇宙真理の先を学びつつ、「自然流(じねんりゅう)」という言葉に込められたA―明るく=「笑顔」、G―元気に=「健康」、S-爽やかに「幸福」といった真の意味を理解する姿勢を継続していただきたいと願ってやみません。ぜひ頑張ってください。応援しています。
株式会社小林住宅工業 創業者 小林康雄
横浜で建築一筋60年!笑顔の建築人!
株式会社小林住宅工業 創業者。
1940年東京生まれ。品川区立宮前小学校入学。その後、戦後疎開で親元を離れ、小学2年生から中学校卒業まで長野県坂城町で育つ。
1955年東京の銘木店に入店。1958年建築大工の見習いとなる。1960年横浜へ大工職人として赴任。働きながら建築士の資格を取得。1971年、有限会社小林住宅工業を設立(1984年の現在の株式会社へ組織変更)。その後は「長寿健康住宅」「シックハウスにしない家づくり」の実現を目指して活動に取り組む。一般社団法人「自然流の会」を立ち上げ、理事長に就任。現在は、自然素材100%の家づくりに取り組むかたわら、「自然流健康の家」から予防医学という考え方を広める活動に尽力している。
株式会社小林住宅工業 → http://www.kobajyu.co.jp/
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